alsdaskind’s diary

映画の感想にはネタバレがあります

ルックバック批判。

 

(前書き)

自分用のメモ書き要素が強くて、当時の文脈を追ってない人からしたらすごく読みにくいと思う。参照可能な記録の意味で公開するけど、オフラインで話した人とか、Twitterの相互にだけ伝わればそれでいい。藤本信者による誹謗中傷・罵詈雑言は求めていない。

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書店で新刊平積みの台においてあってオエッてなったので記しておく。

・まず、あれは漫画の形をした広告
アツギやルミネのCMがネットで拡散されることで発生する言及と何か違うのか。ネットで無料公開されたルックバックはジャンプ、雑誌、漫画、娯楽を売り込むためのマーケティング広告だ。
だから皆が言及したくなるような仕掛けがたくさんある。
その方が売れるから。

・拡散する批判に「無料で読んだ癖に文句つけてるやつムカつく」といった発言が散見された。
「自分が読んで気にくわないからって文句を言える読者すごいわ 無料で読んだくせに」という発言を読んだ。

無料で読んだら文句言うなって言うなら、じゃあお前これからさき生きてる間一生炎上した広告に言及するなよ。文句付けるなよ。だってこれは広告なんだから。「勝手に見て勝手に文句言ってる」構造は何も違わないのだから。
ていうか気に食わないから文句つけてるんじゃなくて現実世界で社会的に実害を被る人たちがいるから問題になってるんだろうが。

 

統合失調症患者への罵詈雑言
統合失調症患者のステレオタイプ的犯人像が漫画の構成要素の一部になっていることで、フィクションのなかで統合失調症ステレオタイプを扱うことについて再考することを求める声もあった。
そこに寄せられたのは「この主張で自分が統合失調症の症状が強く出ていることをアピールする結果になっている」という侮蔑、嘲笑、罵詈雑言だった。正直内容が酷すぎてここに転記・転載する気にもなれない。
軽く検索して出てきたものを意訳して書いておく。
「(修正がかかったことについて)(修正がかかるような)文句言う人こそ作中の犯罪者に一番近いと思います」
つまりこいつは斎藤環は犯罪者とでも言いたいのだろうか?
このバカどもには何か自分以外の存在について想像する力というものがかけらもないのだろうか。
創作世界中心主義の人は現実に出てこないでください。現実世界に生きている人間を大事にできないなら一生フィクションの中でお人形遊びにふけっていてください。拝金主義の豚の餌でいることに無自覚なまま見ている夢は気持ちいいか?

他人の現実はお前らの「物語」じゃねーんだよ ボケが



藤本タツキについて
チェンソーマン、妹の姉、ルックバックを読んだことがある。
漫画が上手だとは思うけど良い漫画を描くとは思わない。
漫画を構成する技巧レベルは高いんだけどそこに人間がいないという感じがする。伝わるかな。張りぼて感。
なんでそう思うのかもっと文量を使って丁寧に説明することもできるんだけど、特に好きでもない漫画家について語るのもあんまり生産的ではないのかな、と思うのでここでは最低限にしておく。
作家というよりは漫画屋さんだと思ってる。
藤本がやってることって、たとえば、数学を専攻するために大学に入って、周りの皆が一般教養課程と専門課程を修了して、卒業論文・研究を練り上げて、それから院にいって自分の専門分野を研究して未解決の課題や証明や理論の確立に貢献してるそばで、永遠に赤チャート解いてるようなイメージ。
赤チャート解けるからすごいねって言われる。数学がすごく得意なんだねって評価される。でもその演習に藤本が藤本の人生で見出した数学史における新規性や専門性の投影はない。そんな感じ。

 

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(後書き)

藤本について語ることあんまり生産的でないとか言いながら前の記事では地味にごちゃごちゃ言及してたわ。